東京大学先端科学技術研究センター(RCAST)経済安全保障インテリジェンス分野(ESIL)は、2026年1月27日に、チリのシンクタンクである AthenaLabを迎え、「チリの視点から見るベネズエラ情勢:新たな米国国家安全保障戦略と南米の将来」と題された公開シンポジウムをオンラインウェビナーにて開催した。



本ウェビナーでは、二つのプレゼンテーションおよびパネルディスカッション、質疑応答を通じて、ベネズエラ情勢、米国の国家安全保障戦略および国防戦略に示された西半球への関心の再強化、ならびにそれが南米および国際秩序全体に及ぼす影響について議論が行われた。
第一のプレゼンテーションでは、AthenaLab 暫定エグゼクティブ・ディレクターのジョン・グリフィス(John Griffiths)氏が、米国戦略におけるベネズエラおよび西半球の位置付けについて報告した。グリフィス氏は、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領の拘束につながったとされる米国の作戦について、トランプ大統領の指示の下で西半球を優先する姿勢が再び強まったことを示す事例であると分析した。また、この戦略的転換は、ロシアによるウクライナ侵攻、中国による台湾への圧力、グローバル・サウスの存在感の高まりといった国際環境の変化への対応として理解できると述べた。さらに、新たな国家安全保障戦略は、世界的影響力を維持・行使する前提として、西半球での優位確保を重視しているとの見解を示した。
一方で、同作戦は米国の軍事力およびソフトパワーを示すものであったものの、全面的な体制転換を意味するものではないと指摘した。チャベス派の治安・情報機関を含む既存体制は一定程度存続する可能性が高く、当面は麻薬対策の限定的強化や一部制裁の調整、政治的流動性の継続が見込まれるとの分析が示された。そのうえで、民主化への決定的な転機とはならなかった可能性や、米国に対する不信感を強めるリスクについても言及し、ベネズエラの将来は依然として不透明であると結論づけた。
第二のプレゼンテーションでは、AthenaLab ディレクターのリチャード・コユンディヤン(Richard Kouyoumdjian)氏が、今回の事案が国際秩序に与える示唆について論じた。同氏は、マドゥロ大統領の拘束を、継続的な軍事的圧力と機会を捉えた技術的作戦を組み合わせた軍事的シグナリングの一例と評価した。また、米国が国家安全保障戦略をどの程度実行する意思を有しているかを示すものだとし、中南米における米国の優先事項は民主主義の促進よりも、麻薬対策、移民管理、中国・ロシア・イランの影響力抑制にあるとの見方を示した。
さらに、在外ベネズエラ人社会における民主化への期待は、今回の作戦が体制転換を直接の目的とするものではないことが明確化されたことで後退したと指摘した。加えて、西半球では米国、アジアでは中国、周辺地域ではロシアがそれぞれ優位性を確保する力の構図が形成されつつあるとの分析を示し、中南米諸国は経済的圧力の下で米国の優先事項に適応していると論じた。その一方で、中国の対応は比較的抑制的であり、日本を含む中堅国が関与を拡大する余地が存在するとの見解を示した。
ディスカッションおよび質疑応答は、井形特任講師がモデレーターを務め、以下の論点が取り上げられた。
1. 米国のベネズエラにおける行動に対し、中南米諸国の反応が分かれているのはなぜか
コユンディヤン氏:中南米諸国の反応が分かれる背景には、不干渉原則を重視する立場と、深刻な人権侵害に対しては対応を求める立場との間にある矛盾がある。米国は国内政治上の制約から、大規模な介入ではなく、限定的かつ精密な作戦を選好している。
グリフィス氏:内政不干渉は中南米地域に深く根差した規範であるが、国家が自国民の主権を侵害するような場合には、その規範自体が争点となる。この点は、冷戦後のボスニアやコソボをめぐる議論と類似している。
2. マルコ・ルビオ氏、スティーブン・ミラー氏、そしてJ.D.ヴァンス氏がそれぞれ担う役割
コユンディヤン氏:マルコ・ルビオ氏は国務長官と大統領補佐官を兼任し、対外政策において強い影響力を持つ。一方、J.D.ヴァンス氏は海外関与を抑制する内向き志向を体現しており、米国外交は国内政治の影響を強く受けている。
グリフィス氏:ルビオ氏はキューバ系であり、かつ複数の要職を兼ねているため、特に中南米政策において意思決定に大きな影響を及ぼしうる。
3. 中国の、米国によるベネズエラでの行動に対する反応
コユンディヤン氏:中国は異例なほど沈黙を保っており、新たな戦略環境を受け入れている可能性や、慎重な様子見の姿勢が指摘されている。貿易関係は継続している一方で、戦略的影響力は低下しつつあり、日本などの中堅国が関与する余地が生まれる可能性がある。
4. 米国の戦略は、勢力圏の確保と対中競争のどちらを重視しているのか
グリフィス氏:両者は密接に結びついており、西半球における支配の確保は対中競争の前提と位置付けられている。中南米では、麻薬問題、移民問題、競合国の影響排除が米国の核心的関心である。
コユンディヤン氏:この考え方は南米諸国にとって目新しいものではない。最終的な帰結は、中国が今後どのように対応するかによって左右される。
5. 南米諸国はどの程度、戦略的自律性を保っているのか
グリフィス氏:中南米諸国の戦略的自律性は、米国との力の非対称性によって大きく制約されている。ブラジルやメキシコも、地理的条件や経済的依存関係により、行動の余地は限定的である。
コユンディヤン氏:経済的、政治的圧力の行使をいとわない米国を相手にする以上、力の不均衡や対米依存の度合いが、外交と並んで将来の選択を規定する。
6. ベネズエラで起きたことと同様の事態が、キューバでも起こりうるのか
グリフィス氏:キューバ政権は衰退の過程にあり、経済活動の中心はすでに国外に移っている。ベネズエラは、より広範な戦略の初期段階となる可能性がある。
コユンディヤン氏:キューバやニカラグアは、長年にわたり米国の圧力の下で存続してきた。米国が本格的に行動するのは、自国の核心的利益が関わる場合に限られる。急激な体制転換よりも、国家機能の維持が重視されている。
7. 日本は何に注目するべきか
グリフィス氏:日本は、制度の脆弱性こそが地域における最大の安全保障課題である点に注目すべきである。インフラ整備が不十分な段階で政治的な連携を優先しようとする南米政府の姿勢は、批判の対象となりうる。
コユンディヤン氏:米国の行動基準は、自国の国益に関わるかどうかにある。それ以外の領域では、日本は独自の対応を取る必要がある。また、米国と同様、日本の戦略も対中認識に大きく左右される。

