【イベント開催報告】東ドイツの対日工作:機密文書が明かす日本政財界と情報戦、そして現在への教訓(2026/2/20)

【イベント開催報告】東ドイツの対日工作:機密文書が明かす日本政財界と情報戦、そして現在への教訓(2026/2/20)

東京大学先端科学技術研究センター(RCAST)経済安全保障インテリジェンス分野(ESIL)は、2026年2月20日、「東ドイツの対日工作:機密文書が明かす日本政財界と情報戦、そして現在への教訓」と題する公開セミナーを開催した。講演者としてベルリン自由大学歴史・文化学部非常勤講師であり、日本経済新聞社欧州駐在編集委員の赤川省吾氏を招聘し、モデレーターは井形彬特任講師(RCAST)が務めた。

本セミナーでは、2025年刊行の著書『日独冷戦秘史:東独機密文書が語る歴史の真実』(慶應義塾出版会)をもとに、旧東ドイツ(DDR)が冷戦期に展開した対日工作の実態が、一次史料に基づいて詳細に報告された。また、当時の経験が現在の日本の様々なアクターに、特に経済安全保障・産業スパイ対策・インテリジェンス改革と言った観点でどのような示唆を与えるのかについて議論が行われた。

基調講演:機密文書が示す対日工作の実像とその構造

問題意識と研究の出発点

赤川氏は、新聞記者(日本経済新聞ロンドン駐在の編集委員)と、ベルリン自由大学で教える非常勤講師という二つの立場から、本書が「ジャーナリズムと研究の両面で」執筆されたことを説明した。講演冒頭では、スパイや工作を「映画の世界」と捉えていた自身の認識が、東ドイツ最後の首相ハンス・モドロウ氏から「今なら話せる」として資料提供を含む証言を得たことを契機に一変した経緯を紹介し、対日工作の実態を歴史として検証する必要性を提示した。

一次資料に基づく歴史検証と日本の公文書意識

赤川氏は、自身がジャーナリストと歴史研究者の双方の立場から本書を執筆した経緯を紹介したうえで、本研究の最大の特徴は、東ドイツ国家保安省(シュタージ)を含む一次公文書を徹底的に分析した点にあると強調した。政治局会議議事録、党中枢による対日政策決定文書、産業スパイの人事カルテや誓約書、日本企業関係者との面会記録など、具体的な機密文書に依拠することで、対日工作の意思決定過程まで明らかにすることができ、また、その工作が「国家ぐるみの制度として」動いていたことが確認できると述べた。とりわけ、これまで十分に検証されてこなかった国家保安省の対日・対アジア政策関連資料を丹念に掘り起こし、歴史の「空白部分」に光を当てたことの意義を強調した。

また赤川氏は、現在のロシアや中国といった強権国家の内情を直接把握することは容易ではない一方、ソ連の事実上の属国であった東ドイツの内部文書を丹念に読み解くことで、現代の強権国家の意思決定構造を一定程度類推できる可能性があると指摘した。さらに、日本においてはこれまで公文書の保存と活用に対する意識が必ずしも十分でなく、検証作業がオーラルヒストリーに依拠しすぎてきた側面があるのではないかと問題提起した。その結果、文書に基づく検証が弱くなり、歴史の検証可能性が損なわれる危険があると警鐘を鳴らした。政府や中央銀行のみならず、企業や政党も含め、自らの歩みをたとえ負の歴史であっても文書として残すことが不可欠であり、公文書に対する意識改革こそが、現在を読み解くための重要な基盤になると述べた。

背景説明:東ドイツの役割分担と「西側から盗む」動機

赤川氏は、コメコン体制下の役割分担の中で、東ドイツが造船やハイテク製品の供給を担った一方、自力で先端技術を開発できない局面に直面し、西側から技術を獲得する圧力が強まったと説明した。対象としては、米国や西独は警戒が強いため難度が高く、当時の選択肢として「日本、オーストリア、北欧」が主な標的になったというモドロウ氏の証言を紹介した。

対日工作の三段階構造

赤川氏は、東ドイツの対日工作は時期ごとに三段階に整理できると分析した。

第一段階(1960年代まで):社会党工作
日本社会党を「友党」と位置づけ、政治局会議での機関決定に基づき接触を強化した。非武装中立路線は東側にとって極めて好都合であり、理念的親和性を活用した外交が展開されたと説明した。

第二段階(1970年代):自民党工作への転換
ソ連の助言として、「日本は一党支配的であり、決定権を持つ自民党と話さねば意味がない」という認識が共有され、方針転換が生じたと述べた。1970年代にモドロウ氏が訪日し、経団連や政界要人への体系的接近が開始されたこと、党内では政治・経済・文化の三本柱で長期計画が策定され、地方から中央委員会、政治局へと上がり機関決定される仕組みが文書で確認できるとした。また、日本側の国家承認は、中国承認後にハードルが下がり、他のNATO諸国と同時期に進んだという説明があった。

第三段階(1980年代):産業スパイの制度化、高度化
1980年代は、技術と外貨の制約が強まるなかで、国家意思決定として対日産業スパイが制度化、かつ高度化した段階と指摘。東西の技術格差が拡大し、「追いつくには産業スパイをやらざるを得ない」局面に入ったことに加え、外貨不足で必要な技術や装置を「買えない」という制約が重なった。その結果、「少ないコストで最大限の効果」を狙う手段としてスパイ活動が合理化された。末端の工作員が独断で動くのではなく、政府と党が機関決定によって標的技術を事前に定め、次官クラスから指示が下りるという意思決定と実行の仕組みが形成されていたと述べた。

文化・政治・経済交流を装った影響力工作

工作の柱として、文化交流の活用が詳述された。クラシック音楽公演、美術展、磁器展示、オペラ公演などを通じて「芸術国家」イメージを形成し、日本側の「芸術は政治と別」という認識を利用して警戒心を和らげ、政財界との接点を拡大したと説明した。政治交流についても、東欧諸国への警戒感が相対的に弱かった点に触れ、東ドイツ指導者ホーネッカーが西側で最初に外遊した国が日本だったという事例を挙げた。こうした政治接近が経済接近を促し、最終的に80年代の産業スパイ活発化へ連動したという位置づけであった。

「国家ぐるみ」で行われた産業スパイと具体例

赤川氏は、工作の具体像を示すため、複数の文書例を提示した。例えば、日銀総裁経験者になる人物による政治局員宛て礼状の存在、面会記録が「日時分単位で」残ることなどを紹介し、日本側が想定していた以上に記録と監視が徹底されていたと述べた。

また、東ドイツ国内で日本企業が建設を担った高層ホテルやビル(鹿島建設が東ドイツを代表する複数の建築に関与したという説明)を例に、米企業に依頼しにくい環境下で日本企業が選好された背景にも触れた。さらに、国家保安省の規模として「正規職員9万人、非正規工作員19万人」といった数字を挙げ、日本大使館前の隠しカメラにより出入りする人物が撮影されるなど、監視が制度として行われたことを示した。

産業スパイの証拠としては、外務省職員を装う工作員の人事カルテ、コードネームと合言葉を含む誓約書、半導体工場長が工作員でもあった事例などが紹介された。標的技術が「256K DRAM」など具体的に明記され、日本企業名や技術名が出張指示文書に現れるなど、狙いが事前に特定されていた点を重ねて強調した。

日本がつけ込まれた背景と、現在への教訓

総括として赤川氏は、日本側の脆弱性として、東欧諸国を脅威とみなさない空気、政財界に残っていた親独感情の利用、そして強権国家での活動が監視され記録が残るという前提の欠如を挙げた。最大の問題としては、日本企業のビジネス倫理が薄く、利益を優先した結果として付け込まれた側面があると整理した。結びでは、現在でも強権国家とのビジネスにおいて監視と記録を前提に行動する覚悟があるのかを問いかけた。

パネルディスカッション:現代への教訓

パネルディスカッションでは、当時の事例を現代の枠組みに当てはめて議論が行われた。

1. 民間企業への警鐘:無自覚が生むリスク

井形氏より、『日独冷戦秘史:東独機密文書が語る歴史の真実』から引用し、東ドイツ側が日本企業に効率的にアプローチするため、総合商社ごとに工作目標を策定し、グループごとに長期戦略文書を作成していたことが紹介された。例えば、三菱グループについては、A4判43ページに及ぶ戦略書が存在し、商談の経緯からトラブル、接点となった幹部社員名まで記録されていたことに言及。国家プロジェクトへの参入という「餌」で関係を構築し、徐々にグレーゾーンに引き込む手口は、最終的に民間側が「通産省やCIAに露見しない方法」を助言する局面にまで至ったとされる。50年前ですらこれだけ徹底した影響工作が行われた実態を踏まえると、電子通信機器と監視技術が飛躍的に発展した現在における、外国からの工作活動への対策の難しさが改めて共有された。

これに対し赤川氏は、「強権国家と自由主義陣営の国とのビジネスは全く違う」という前提を置く必要性を強調した。赤川氏自身も、ロシアから制裁対象に指定された経験に触れながら、強権国家との関わりに伴う現実的なリスクを実感していると述べた。国際メディアの部長クラスによるネットワークの中では、ロシアのような国に取材に入る際の具体的な注意事項が共有されており、「まっさらな携帯電話を持ち込む」「パソコンは持ち込まない」「むやみに通信しない」という三原則が申し合わされているという。

入国時に電子機器を押収され、過去の通信履歴や接触先が解析される可能性があるためであり、仮に反体制派やウクライナ関係者とのやり取りが記録されていれば、本人のみならず接触相手に重大な危険が及ぶことになる。こうした現実を踏まえ、強権国家用と自由主義圏用で電子機器を物理的に分離するなど、リスクを前提とした運用が不可欠であると述べた。赤川氏は、これはもはや特別な対応ではなく、現代の国際環境における基本的な危機管理であるとの認識を示し、企業においても同様のアウェアネスと実践的対策が求められると警鐘を鳴らした。

2. 日本政府の課題:公文書の欠如と検証可能性

本セッションでは、日本政府の対応をめぐる問題も大きな論点となった。井形氏は、東ドイツ側には詳細な政府文書が残され、米国側には当時の政策担当者という生き証人が存在する一方で、日本側には検証に耐えうる公文書が十分に残されていないという非対称性に強い危機感を示した。

議論では、当時日本で活動していた東ドイツの工作員が西ドイツで逮捕され、その情報が公になっていたにもかかわらず、釈放後に再び日本へ入国していた事例が紹介された。赤川氏は、東ドイツ資料には日本側の対応は記されていないとしつつも、当時日本政府が西ドイツ情報機関(BND)や英国MI6と十分な情報共有を行っていれば把握できた可能性があると指摘し、結果として十分な監視や対応がなされていなかった可能性に言及した。

さらに、米国から外交ルートを通じて「日本企業が共産圏に不正輸出している可能性がある」との警告が繰り返されていたにもかかわらず、日本政府内では「貿易摩擦をめぐる圧力ではないか」と受け止め、積極的な調査が行われなかった事例が紹介された。実際に当時米国国防総省でココム規制を担当していた元高官も、外務省や防衛庁に運用強化を求め続けたものの反応が乏しく、日本政府が企業を守ろうとしているのではないかとの疑念を抱いたと証言している。

井形氏は、東ドイツ側には公文書が残り、米国側には証言が残る一方で、日本側に「そのような事実はなかった」と裏付ける文書が存在しない状況では、歴史叙述が他国側資料に依拠して形成されてしまう危険性があると指摘した。たとえ当時、日本政府内部に危険性を認識していた人物がいたとしても、それが文書として保存・開示されていなければ、後世は検証できない。

赤川氏も、公文書の保存と開示こそが歴史の検証可能性を担保する基盤であると強調し、日本における公文書管理と情報公開のあり方を根本から問い直す必要性を訴えた。

3. アカデミアと研究セキュリティ:オーバーコンプライアンスのジレンマ

パネルでは、アカデミアが対外工作の経路となり得る点についても議論が行われた。井形氏は、東ドイツ側がいきなり政治家に接触するのではなく、まず大学教員にアプローチし、「政治家を紹介してほしい」と関係を構築していった事例を紹介した。また、東ドイツから日本に留学していた学生が大使館の情報機関関係者と定期的に接触していたことや、日本人留学生の証言が資料として残されていることにも言及し、アカデミアを通じた情報収集の実態を示した。

これに対し赤川氏は、東ドイツの公文書に基づき、名門大学において最先端研究に必要な機材の調達が事実上、産業スパイ活動と不可分であった実態を紹介した。学長が政府に対し研究機材の整備を要望することは、実質的には非合法な手段による調達を依頼することと同義であった可能性があると指摘し、たとえ研究者本人が直接手を染めていなくとも、調達経路について一定の認識はあったのではないかとの見解を示した。そして、同様の構図は現在も存在している可能性があると述べた。

井形氏は、近年日本の大学においても研究セキュリティの観点から「信頼できる相手と連携する」方針が示されていることに触れつつ、これを過度に運用すれば外国人研究者を一律に排除するようなオーバーコンプライアンスに陥りかねないと指摘した。従来の開放性を維持することで多様な知的交流が生まれてきたことも事実であり、経済安全保障の概念をどのようにアカデミアに適用するかは慎重な検討を要すると問題提起した。

これに対し赤川氏は、冷戦期にはココム(COCOM)規制という明確なルールが存在していたことに言及し、「何が許され、何が許されないのか」という指針を明確に設け、それに厳密に準拠することが不可欠であるとの考えを示した。井形氏も、文部科学省が研究セキュリティに関するガイドラインを公表しており、現在はフィードバックを受けながら改訂を重ねるリビングドキュメントの段階にあると紹介した。

議論では、明確な指針のもとでどのようにバランスを取るかが今後の課題であるとの認識が共有された。

4. メディア:一次資料と批判精神

最後の論点として、メディアの役割が取り上げられた。井形氏は、東ドイツによる影響工作がメディア関係者にも及んでいたことに触れ、現在においても、都合の悪い取材を試みる報道関係者が排除されるような事例が存在するのかを問いかけた。

これに対し赤川氏は、自身がロシアから入国禁止措置を受けている現状に言及し、批判的な報道姿勢が強権国家から制約を受け得る現実を示した。そのうえで、メディアにとって最も重要なのは批判精神であり、それを支える前提として報道の自由が不可欠であると強調した。さらに、報道の自由を担保する基盤は民主主義にあり、民主主義を守る最終的な防波堤は有権者一人ひとりの良心であるとの認識を示した。

赤川氏は、メディア自身も慢心することなく、常に権力を監視し続けなければならないと述べた。そうでなければ、後世の歴史的検証に耐えられない状況を招きかねないと警鐘を鳴らした。また、自身が所属していた日本経済新聞においても、冷戦期に東ドイツを擁護する論調の記事が掲載されていたことに触れ、過去の報道姿勢を反省材料として挙げつつ、同様の過ちを繰り返してはならないと述べた。

議論では、メディアの批判精神と民主主義の維持が相互に支え合う関係にあることが改めて確認された。

Q&Aセッション:参加者との対話

会場の学生や研究者、ジャーナリストや著書の読者らから鋭い質問が飛び交い、議論はさらに深まりました。

Q1. シュタージ文書のAI復元と公開の是非

シュレッダーで破棄された公文書などがAIにより復元できるるようになってきた中で、国家の視角に歴史記述が引き寄せられるリスクや、公開範囲をどこまでとすべきかについてどう考えるかという質問がなされた。

赤川氏は「歴史の検証のため、AIを用いた復元は100%やるべきだ」と明言し、資料を残さないという選択肢はないと強調した。その一方で、復元と公開は別問題であり、どの範囲まで開示するのか、黒塗りとするのか全面公開とするのかは慎重に検討すべき論点であると指摘した。

さらに赤川氏は、日本関係文書が相当量残っていた理由として、産業スパイ活動は暗殺や軍事機密取得などに比べれば国家にとっての「重大犯罪」とは位置づけられていなかった可能性があるとの認識を示した。偵察総局が担っていた軍事作戦や要人関連の資料は相当程度破棄されたとみられる一方、産業スパイ関連は優先的な破棄対象とはならなかった可能性があると述べ、文書の欠落や残存そのものが、当時の体制内部における重要度の序列を反映しているとの見解を示した。

Q2. 文書の黒塗りは何を意味するのか

東ドイツおよびシュタージ文書はどこまで公開されているのか、現在も黒塗りが必要なのか、また黒塗り部分から何が推測できるのかという質問がなされた。

赤川氏は、黒塗りの多くはスパイ本人ではなく家族などのプライベート情報に関わる部分であると説明した。例えばスパイの人事カルテでは生年月日などは開示される一方、配偶者や子どもの氏名は黒塗りとされる。また、東独に駐在した日本人については、大使や公使、一等書記官などの要職者は実名で詳細が公開されるが、家族や肩書きのない若手職員、一般党官僚や工場労働者などは黒塗りとされる場合があると述べ、ドイツ当局が公的責任の度合いに応じて一定の峻別を行っているとの見解を示した。

Q3. 公文書公開をめぐる国際比較と日本の課題

機密文書へのアクセス環境について、日本は開示請求をしても資料が出にくい印象があるが、ドイツやアメリカと比べて実際はどうかという質問がなされた。

赤川氏は、日本は欧州と比べると公文書公開の面で明らかに遅れていると述べた。欧州でも情報機関のアーカイブはハードルが高いものの、それ以外の公文書については近年デジタル化が大きく進み、遠隔地からでもスキャン資料が送付されるなど利用環境が改善していると説明した。一方で、日本も全く取り組んでいないわけではなく、福田政権以降、公文書管理への意識は徐々に高まり、外務省などでは電子データによる開示も進んでいると評価した。ただし、財務省や経産省、文科省などを含め、より体系的で使いやすい形での公開が求められるとの見解を示した。

Q4. 産業スパイは本当に効率的だったのか

産業スパイ活動は実際どの程度効率的に成果を上げていたのか、また当時の日本側は東欧諸国に対してノーマークだったのかという質問がなされた。

赤川氏は、日本の対応については「多分ノーマークだった」と述べ、東ドイツ側の報告書にも外交特権を利用した持ち出しが税関でほとんどチェックされなかったと記されていることから、実際に十分な対策がなされていなかった可能性が高いとの認識を示した。また、産業スパイの効率性については、東ドイツは経済的に失敗国家と評価される一方、仮にスパイ活動を行わなければさらに早く破綻していた可能性があると指摘した。多数の工作のうち一部でも成功すれば、自国で巨額投資を行うよりはるかに低コストで技術を取得できるとの発想があったとし、こうした手法は現在の強権国家にも通じる構造であるとの見解を示した。

Q5. 日本企業が協力した動機は何か

日本企業側が東ドイツとの経済交流や協力に応じたモチベーションは何だったのか、経済的利益だけでなく、日米・日欧貿易摩擦や技術的関心など複合的要因があったのではないかという質問がなされた。

赤川氏は、日本側の動機は大きく二つあったと述べた。一つは心理的要因である。1970年代から80年代にかけて、欧米市場ではジャパン・バッシングや差別的な扱いの中で日本企業が厳しい環境に置かれていた一方、東欧諸国では国家元首や閣僚級が企業幹部を迎え、警察のエスコート付きで移動するなど特別待遇が与えられたという。一企業のトップに対し国家元首が面会するような厚遇は自尊心を強く刺激し、「少しぐらい技術を渡してもよいのではないか」と判断が緩む心理が生まれ得たと説明した。称賛とVIP待遇によって関係を構築し、徐々にグレーゾーンへと引き込む手法は、当時の対日工作において有効に機能していたと指摘した。

もう一つは技術的要因である。当時の共産圏にとって最も重要だったのはハイテク技術であり、1970年代から80年代の日本は半導体などの分野で欧米を凌駕する技術力を有していた。カシオやシャープの電卓ですら東独では容易に入手できず、それを持ち帰って分解し、内部の半導体構造を研究所で分析することで技術を学んでいたという。東側は大量に情報や物資を収集し、その中から有用なものを選別する手法をとっており、巨額の研究開発投資を行うよりも、限定的な資金で技術者を取り込む方が効率的だとの発想があったと述べた。こうした構造の中で、日本の先端技術は重要な標的となっていたとの見解を示した。

Q6. どこで防げたのか、踏みとどまった例はあるのか

情報獲得に成功した事例だけでなく、失敗した事例や日本側が踏みとどまったケースはあったのかという質問がなされた。

赤川氏は、「どこで防げたか」という具体例はいくつか確認できると述べた。当時、米国との関係が深かった企業では、「ここまで渡せば危険だ」と判断して一線を越えなかった事例があったという。NECやソニー、トヨタなどは東独との関係深化に慎重で、共産圏市場に依存せずとも十分なビジネス基盤を有していたことから、リスクの高い取引には踏み込まなかったと説明した。このように、日本側が一定の歯止めをかけたケースも相当数存在していたとの見解を示した。

Q7. 東ドイツは単独で動いていたのか、ソ連などとの連携はあったのか

東独の対日工作は単独で行われていたのか、それともソ連や他の東欧諸国の情報機関と連携していたのかという質問がなされた。

赤川氏は、この点は学術的にも最も解明が難しい領域の一つであると前置きしたうえで、KGBをはじめ中核機関の資料はほとんど公開されておらず、東独やポーランド側でも相当部分が破棄されていると説明した。ただし、情報機関同士の連携が存在したこと自体は間違いないと述べ、具体例として、日本経済新聞によるホーネッカー単独インタビューの際、記者の身元調査情報がポーランド情報機関からシュタージに共有されていた事実を挙げた。こうした事例から、東側諸国間で情報共有が行われていた実態がうかがえるとの見解を示した。

Q8. 権威主義的ナラティブといかに向き合うか

権威主義国家と親和性の高い言説が日本の政治やメディア空間に一定の影響力を持つ中で、言論の自由を前提とする日本社会はどのように向き合うべきかという質問がなされた。

赤川氏は、メディアが不都合な事実を報じないのであればそれは自殺行為であり、批判的精神に基づき真実を伝えることが本分であると述べた。ただし、報道は確証に基づくべきであり、憶測や疑念のみで論じるべきではないと強調した。本書でも一次公文書に限定して検証を行ったと説明し、立証可能な文書が出てきた場合にのみ報じるという姿勢こそが、ジャーナリズムと研究の基本であると指摘した。さらに、強権国家がサイバー攻撃や仮想通貨窃取などに関与している事実が国連等で指摘されていることを踏まえ、そうした国家の行動特性を常に念頭に置きつつ冷静に対処すべきであるとの見解を示した。

Q9. ランサムウェアと国家による資金獲得の構造

サイバーアタック、とりわけランサムウェア攻撃は単なる金銭目的なのか、それとも情報窃取や国家的意図と結びついている可能性があるのかという質問がなされた。

井形氏は、ランサムウェアの多くは金銭目的とみられる一方で、国家が背後で関与・支援しているケースもあるとの認識を示した。赤川氏はこれを補足し、東ドイツでは国家保安省が直接活動するだけでなく、貿易省内の「商業調整部(KoKo)」を通じて外貨獲得を行っていたと説明した。武器密売、美術品の売却、政治犯の取引、西側産業廃棄物の受入れなどで資金を得て、それをマネーロンダリングし、体制維持やハイテク製品の取得に充てていたという。こうした「資金獲得と情報活動の結合」という構造は、現代においても一部の強権国家に引き継がれている可能性があるとの見解を示した。

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