2025年12月8日、東京大学先端科学技術研究センター(RCAST)経済安全保障インテリジェンス分野は、「Israel and Japan in an increasingly Multipolar World: How Middle Powers are Caught in Great Powers Competition」と題する公開セミナーを開催した。本セミナーには、イスラエルを拠点とするシンクタンク SIGNAL Group の代表団を招き、米中間の大国間競争が激化し、多極化が進展する国際環境の中で、中堅国(middle powers)が直面する戦略的・経済的課題について、多角的な視点から議論が行われた。

登壇者には、SIGNAL Group 創設者・代表であり中国・インド太平洋地域を専門とするCarice Witte氏をはじめ、イスラエル政府の経済・通商・移民政策を担う現職の官僚、ならびに元イスラエル保健大臣の Nitzan Horowitz氏が参加した。イスラエル側の政府、政策形成、シンクタンク分析を横断する構成により、日本とイスラエルが共通して直面する経済安全保障リスクへの対応について、実務と戦略の双方から知見が共有された。

【オープニング①:井形彬(東京大学先端科学技術研究センター 特任講師)】
モデレーターを務めた井形彬特任講師は、冒頭において本セミナーの趣旨と構成について説明した。井形は、米中間の大国間競争が長期化し、国際秩序の不確実性が高まる中で、日本とイスラエルはいずれも中堅国として、同盟関係の維持と戦略的自律性の確保という共通の課題に直面していると指摘した。 また、本セミナーに参加したイスラエル側代表団が、中国を訪問した直後のタイミングで日本を訪れている点に言及した。その上で、本セミナーが、理論的・抽象的な議論にとどまらず、現地での対話や実務経験に基づく視点を共有する機会であることを強調した。さらに、日本とイスラエルの関係を二国間に限定せず、インド太平洋や中東、さらにはグローバルな経済安全保障の文脈の中で位置づけることの重要性を問題提起した。
【オープニング②:Carice Witte(SIGNAL Group 創設者・代表)】
Carice Witte氏は、イスラエル側代表団を代表して挨拶を行い、東京大学先端科学技術研究センター(RCAST)および本セミナーの参加者に対し謝意を表した。同氏は、今回の代表団が、現職の政府関係者および元上級政策決定者を対象とするSIGNAL Groupのエグゼクティブ・プログラムの一環として来日したものであり、本イニシアティブは、政策実務者がアジアの政治・経済動向を直接的に理解することを目的とした継続的な対話の一環として設計されていると説明した。
Witte氏によれば、本プログラムの第1期は2023年に実施される予定であったが、地域紛争の影響により当初の訪問は延期を余儀なくされたという。今回の訪問は同イニシアティブの第2回目にあたり、各期ごとに異なる政府関係の実務者が参加する構成となっている。同氏は、代表団の行程として、まず中国を訪問し、その後日本を訪れる予定であることを説明した上で、中国の統治体制および対外姿勢を直接観察した後に日本の視点を理解することが、重要な目的であると強調した。
さらに同氏は、日本訪問の主な目的として、第一に、日本がどのように中国と向き合い、経済・安全保障政策を形成しているのかについて理解を深めること、第二に、インド太平洋地域における日本の役割および潜在力について洞察を得ることの二点を挙げた。また、日本とイスラエルはいずれもミドルパワーとして多くの共通課題に直面しており、相互に学び合う余地が大きい点についても言及した。
【講演①:Marc Luban(イスラエル財務省 国際関係部門 ディレクター)】
Marc Luban氏は、多極化が進展する国際環境において、米中間の大国間競争が通商、投資、技術協力のルールを大きく再編している現状を踏まえ、日本とイスラエルのような中堅国が直面する課題と機会について論じた。Luban氏は、戦略的圧力が強まる環境下においても、中堅国には比較優位を活かした協調を通じて、実質的な価値を創出する余地があると指摘し、具体的な政策提言を行った。
第一に、グローバル・バリューチェーンの再編をめぐり、日本の製造業基盤とイスラエルの研究開発力や産業用ソフトウェア分野の強みが相互補完的である点を挙げ、共同開発、標準設定、輸出信用や再保険を含む制度的支援の可能性に言及した。また、重要鉱物の確保を戦略課題として位置づけ、供給集中がもたらす脆弱性への対応として、多様化と協調調達の必要性を強調した。
第二に、技術・研究開発分野では、既存の日イスラエル政府間R&D協力枠組みを踏まえつつ、AI分野を中心とする新たな協力の可能性が示された。AIを単なるソフトウェア技術としてではなく、製造、エネルギー、水管理、金融といった分野に組み込まれる基盤技術として捉え、日本のシステム工学的強みとイスラエルのスタートアップ・エコシステムの融合が、中堅国による第三国向けソリューションの創出につながるとの見解が示された。
第三に、通商・投資の制度的枠組みとして、既存の二国間投資協定(BIT)に加え、サービス、金融、デジタル分野を含む包括的な自由貿易協定(FTA)の必要性が指摘された。さらに、多国間開発銀行(MDB)を通じた第三国支援において、日本とイスラエルが共同で関与することで、開発支援と戦略外交を結びつける可能性にも言及した。
【講演②:Lena Zeiger(イスラエル経済産業省 外国貿易庁 上級部局次長)】
Lena Zeiger氏は、イスラエルの通商政策の現状と、日本との経済関係の発展可能性について報告した。イスラエルと日本の貿易・投資関係は過去10年間で着実に深化しており、日本企業による対イスラエル投資や、イスラエル企業による日本市場への関心が高まっていると述べた。 Zeiger氏は、イスラエルの主要貿易相手国として、米国、欧州連合(EU)、中国を挙げた上で、中国との関係については、水、農業、医療分野を中心に協力が存在する一方、近年は貿易摩擦や不確実性が増していると指摘した。また、第三国市場における競争激化の例として、米国の関税政策がEU市場における競争環境に波及している点を紹介し、中堅国に共通する課題として整理した。
さらに、米国の相互関税政策をめぐるイスラエルの対応について説明し、日本の対米交渉や合意を高く評価しつつ、イスラエルも同様に米国との調整を進めている状況が共有された。その上で、ルールベースの国際貿易体制、とりわけWTOの重要性が、小規模で開放的な経済を持つイスラエルにとって不可欠であるとの認識が示された。
技術と規制の関係については、AI規制を例に、過度な規制と無規制のいずれでもなく、イノベーションを促進しつつ社会実装を可能にする中間的アプローチの必要性が強調された。データ・ガバナンスやデジタル貿易分野において、日本とイスラエルがOECDやWTOで協調してきた実績にも言及された。
【講演③:Shirly Raisin Sasson(イスラエル人口・移民庁 二国間協定部長)】
Shirly Raisin Sasson氏は、イスラエルにおける外国人労働者受け入れ政策について、制度設計と運用の実態を報告した。イスラエルでは、農業、建設、介護などの基幹分野において外国人労働者が不可欠であり、主に政府間の二国間協定を通じて労働者を受け入れている。
Sasson氏は、政府主導の募集・選抜制度の目的として、労働者の搾取防止、透明性の確保、権利保護を挙げ、民間仲介に依存しない仕組みの意義を説明した。また、労働者の資格確認や治安上のスクリーニングが事前に行われる点、滞在期間終了後の帰国を促すためのデポジット制度など、具体的な運用手法が紹介された。
さらに、この制度が人身取引対策や国際的評価にも影響を与えている点に触れ、移民管理と経済活動、治安対策を同時に考慮した制度設計の重要性が示された。日本における移民・外国人労働者政策との比較可能性についても示唆がなされた。
【講演④:Nitzan Horowitz(元イスラエル保健大臣)】
Nitzan Horowitz氏は、中東地域の地政学的状況、とりわけ近年の紛争を踏まえた将来シナリオについて論じた。氏は、ガザ、レバノン、シリアなど複数の戦線を抱える現状を整理した上で、アブラハム合意の拡張可能性が再び議論されている点を指摘した。
特に、レバノンやシリアといった国境を接する国々との関係改善の可能性、ならびにサウジアラビアを含む広範な地域への合意拡大がもたらす政治的・経済的影響について言及した。その際、パレスチナ問題が依然として中心的論点であり、いかなる合意拡張においても避けて通れない課題であるとの彼の認識が示された。
Horowitz氏は、現在進行中の停戦交渉や将来の統治体制をめぐる議論に触れつつ、不確実性は高いものの、中長期的な安定に向けた可能性を慎重に評価した。
【講演⑤:Carice Witte(SIGNAL Group 創設者・代表)】
Carice Witte氏は、中国の対外政策とインド太平洋における影響力拡大を踏まえ、イスラエルおよび日本が直面する戦略環境について論じた。特に、中国の行動様式、対台湾認識、ならびに第三国を通じた影響力行使の特徴について、自身の対中対話経験を踏まえた見解が示された。
【参加者とのQ&A】
質疑応答では、インフラ連結構想(India–Middle East–Europe Economic Corridor , IMEC)の実現可能性や、日イスラエル関係の将来像、移民政策の制度設計、中国および台湾をめぐる認識、中東地域の地政学的展開など、幅広い論点について質問が寄せられた。以下では、主な論点ごとに議論の概要を整理する。
IMEC構想とインフラ投資をめぐる課題
12月3日に東大先端研(経済安全保障インテリジェンス分野)がイタリアのIMEC政府特使を招聘して開催した別のセミナー「日本とイタリア―IMECを通じたインド太平洋とインド地中海の連携―」の内容を踏まえ、IMECの野心的なプロジェクトについてイスラエルはどのように認識しているのか、また、その実現に向けた課題は何かという点について質問が寄せられた。
これに対し、Witte氏は、IMECは単一の中央集権的に管理された巨大プロジェクトとして理解されるべきものではなく、各国が対等な立場で共同運営・管理し、それぞれの関心や能力に応じて貢献し、またその恩恵を受ける取り組みであると強調した。その結果、参加国政府、民間企業、金融機関の間での調整が最大の課題となり、意思決定のプロセスは本質的に遅くなることが見込まれると指摘した。一方で、このような構造は、長期的には持続性の高い枠組みとなり得るとの見解も示された。
また、IMECは民主主義国間の協調を前提とする構想であり、中国主導の一帯一路構想と比較した場合、迅速な展開よりも、透明性や持続性を重視する点に特徴があると述べられた。こうした性格は短期的な効率性では不利に見えるものの、長期的な信頼性と安定性の確保という観点では重要な意義を持つと評価された。
日・イスラエル経済関係および経済連携枠組みをめぐる議論
参加者からは、近年回復しつつある日イスラエル間の企業交流を踏まえ、過去に言及されていた包括的な経済協力枠組み(いわゆる経済連携や特別な二国間関係構想)が今後再始動する可能性について質問がなされた。
これに対し、Zeiger氏は、政策レベルでは日本とイスラエルの双方において、経済連携協定(EPA)が次の自然なステップであるとの認識が共有されていると述べた。両国間では数年前に共同のフィージビリティ・スタディが実施され、交渉開始に近い段階まで進んでいたが、その後の安全保障環境の悪化により進展が一時的に停滞した経緯が説明された。現時点では、一定の安定が前提となるものの、将来的な交渉再開に対しては楽観的な見通しが示された。
移民政策・外国人労働者制度をめぐる比較と示唆
移民政策に関しては、イスラエルが採用している二層的な制度設計に注目が集まった。具体的には、市民権付与を伴う移住と、期限付きの外国人労働者受け入れを明確に分離している点が、欧州型の移民モデルや日本の制度と比較してどのような含意を持つかについて質問が寄せられた。
Sasson氏は、イスラエルでは「帰還法」に基づく移民と、一般的な入国・滞在を規定する法律が明確に区別されていると説明した。外国人労働者については、当初から一時的滞在を前提とした制度として設計されており、労働者の権利保護と不法滞在防止を両立させるための運用が行われていると述べた。また、イスラエル社会が歴史的に移民によって形成されてきた点に触れつつ、1990年代以降の大規模移民が経済や政策形成に与えた影響についても補足がなされた。これらの説明を通じて、移民政策が単なる労働力確保の問題にとどまらず、国家の制度設計や社会構造と密接に関わる課題であることが共有された。
中国、台湾、北朝鮮をめぐる認識と比較
中国に関する質問は複数寄せられ、とりわけ台湾情勢をめぐるイスラエルの見方や、中国と北朝鮮の政治体制・行動様式の違いについて関心が示された。
Witte氏は、台湾をめぐる武力衝突が不可避であるとは考えていないとの見解を示し、現状維持が一定期間続く可能性にも言及した。その上で、仮に台湾有事が発生した場合、イスラエルにとっては地理的・戦略的距離が大きく、直接的な関与は想定されていないと説明した。ただし、米国の立場が重要な要因となり、イスラエルの対応も米国との調整を前提とするとの認識が示された。中国と北朝鮮の比較については、両国とも外部からの理解が難しい体制である点が指摘された一方、中国が北朝鮮に対して一定の影響力を保持しつつも、戦略的レバレッジとして関係を維持している可能性が示唆された。
中国訪問の内容と対日メッセージの共有
中国訪問を終えた直後の代表団であったことから、現地での対話内容についても質問がなされた。Witte氏は、中国側の党・政府系機関や研究機関との意見交換を行ったことを説明し、台湾問題が主要な論点として扱われたことを明らかにした。
中国側からは、台湾問題に関する立場を第三国に伝達する意図が明確に示されており、対日関係や地域情勢に関するメッセージも含まれていたとの説明があった。中国が軍事的衝突よりも、段階的な圧力や示威行動を通じた影響力行使を重視しているとの印象も共有された。
中東情勢とアブラハム合意の将来
中東情勢については、アブラハム合意と近年の紛争との関係、ならびに今後の拡張可能性について質問がなされた。
Horowitz氏は、サウジアラビアとの関係正常化を含む合意拡張の動きが、過去の暴力的衝突と密接に関連しているとの見解を示した。特に、パレスチナ問題が周縁化されることへの反発が、地域の不安定化要因となった可能性に言及した。今後については、停戦後のガザ統治体制やパレスチナの政治的将来像が不透明であるものの、一定の政治的展望が示されれば、合意拡張が再び現実的な選択肢となりうるとの見通しが示された。

